大学時代は音楽鑑賞クラブ所属
大昔、大学生時代にワタシはこともあろうか「音楽鑑賞クラブ」なる超インドア系サークルに所属していました。
時はちょうどバブル真っ最中。同級生のほとんどがテニス&スキーサークルに入って青春を謳歌している中、おんがくかんしょう…
どうですか?バブルを知らない若人たちよ。
今も昔も、世の流れにまったく乗らない(乗れない)人種がいるんですよっ
このサークル、(ほとんど洋楽の)レコードやCDを持ち寄って来てプレイヤーでかけながら、それぞれが部室に置いてあるもので遊んでボンヤリするだけの夢のようなサークルでした。
誰かが置きっぱなしにしたパタリロ!などのマンガを読むもよし、オセロや将棋で遊ぶもよし。
もちろん携帯なんぞはまだない時代ですから、コミュニケーションがとりたくなったらその場にいる誰かと話したりも。
火曜日と金曜日は、
持ち回りでレコードやCDをかけてその時にたまたまいた部員がノートに感想を書くだけの「ゼミ」と称する活動を行なったりもしていました。
軽音に入るほど楽器ができるわけでもなく、外側にも出て行かないインドアサークルの極みです。
阿佐ヶ谷リッキー
そんな極まったサークルの部員の中でも、
特にパンクジャンルが好きな何人かでごくたまーに夜遊びしに行くクラブ?がありました。
阿佐ヶ谷の「RICKY」です。
RICKYは、阿佐ヶ谷駅旧ゴールド街を高円寺側に抜けてすぐ目の前のビルの地下にありました。
▲今はスタバもある「てくて」になってます。旧ゴールド街ね
夜9:00くらいから明け方まで営業していて、
かかる音楽は、パンクやスカばっかり。
特に金曜の夜は、ディスチャージやGBHなどのハードコアパンクで盛り上がっていました〜
▼こういうの。クッソうるさいので再生注意!
ドアを開けてタバコの煙とクソでかい音にまみれながらせっまい階段を降りるとそこはもうフロア。
隅っこにテーブルと椅子が申し訳程度にあったけど、みんな立ったまま、お酒飲んでたばこ吸ってお気に入りの曲がかかると飛び跳ねて踊ったりして、もう好き放題w
▲雰囲気だけ感じてください
なんで立ったままかというと、
単にフロアが狭すぎるっていうこともあるけど、特にハードコアパンクの日なんて床に座ってられないほど客が大騒ぎするからですっ!
あのごっついブーツとか、ぶ厚いラバーソールに踏まれたら大怪我必至ですワ
▲こんな客ばっかり
パンクスのお兄さん
完全にイキッてた当時のワタシも飛び跳ねて楽しんでいたんですが、↑の人みたいなのがたくさんいたので革ジャンについてる尖った鋲に腕や顔ががんがん当たって「地味にいってえぇ」って思ってました。
でも、ある時いつものように楽しんでたら、横で同じタイミングでジャンプしたお兄さんの肩の鋲が思いっきし、振り上げたワタシの手に当たっちゃって、ワタシ的にはそんなに痛くなかったんだけど「ごめんね」って言われたことがあったのです。
ごめんね。ごめんね。ごめんね。
いっかついパンクスのお兄さんから謝られた!!
ごめんね…だって!!
……萌え萌え〜♡
それがキッカケでおつきあいが…
なーんてことはなかったっすけど。ちぇっ
えーっとちなみにこの店、通称リッキーというおじさんがやっていた店で、自らDJをしながら酒も作るという、いわゆるワンオペをこなしていましたがいつも陽気で楽しそうでした。たまに体調悪そうな時もあったけど。
一度、酔っ払って調子ぶっこいたワタシが「なんでリッキーっていうのお~?」と聞いたことがあったんだけど、
「ナイショ~w」って言われました…このやりとり、だっせー汗
酒は全部500円とかで出入り自由。
まあよくやってたと思います。
2000年ごろにつぶれたみたいで、リッキーのあった地下もつぶされて今は新しいビルになっています。
いまだに前を通るたびに「この下にリッキーがあったんだよなあ」って思ってしまう…
という思い出話でしたっ
追記:さっき前通ってきたので撮ってきました
担々麺屋が入ったビルの…
ここに入口があったんや〜。完全につぶれてら〜
リッキー、今なにやってるのかな?つかもう亡くなってる可能性高そ〜